感動のヒラマサ

能登ロックショア釣行記
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11月頭。波高は2mほどで割と高め。いつもとは違うポイントに入る。ここのワンドには岬が隣接しており、潮通しの良さと魚が留まりそうな地形で波にも強いので期待が持てる。しかし、期待に反し、フクラギらしき魚のチェイスのみに終わる。

場所を変え、青物の実績の高いポイントに移動。波が高くて先端には立てないのでワンド奥の足場の高いところでやるも反応なし。

朝の部はこれであきらめ、波が収まってくる夕方に望みを託す。

夕方、いい感じの波高になっている。ガチペン160を使用。このルアーは飛距離、泳ぎも良く、実際にこのルアーに換えた途端にバイトがあったりするので最近のお気に入りとなっている。割と浅めのレンジをきびきびと泡を纏って泳いでくれる。

夕方、まだ太陽が沈むまで1時間ほど残っているころ。距離10mほどのところで魚体丸出しでバイト。おそらく足元の磯際に着いていて、ルアーを見つけバイトしてきたようだ。ヒット直後、自ら潜んでいた場所に戻ろうとするかのように足元の磯際に突っ込んでいく。ドラグはかなり強めなのでラインは全く出ない。水面に頭を出させて空気を少し吸わせてから、ロッドパワーでごぼう抜きした。久々の80アップで体高もあるいい面構えのヒラマサで、嬉しさに思わず叫んでしまった。人生に意義を感じた瞬間だった。

ちょうど、そのとき、隠れていた太陽が雲の切れ間から顔を出し、晩秋の心地よい西日が私と魚を照らしてくれた。その穏やかで暖かい光色は、その場面をシャッターを切るかのように私の脳裏に焼き付けさせてくれた。(昔から朝日よりも夕日の方が好きな私。魚が釣りやすいのは朝なんだけど。海に沈む夕日は本当に美しい。これを見ながら釣りをするだけでも価値があると思う)

しかし、その喜びから湧き上がる幸福感も一時であり急速にいつもの気分に戻っていくことはわかっている。常に癒えない渇きを潤すことを求めて、ただひたすら釣りをするが、いくら満足した結果を得ても、その渇きは決して潤うことがない。(幸福感って長続きしないものだとつくづく思う。)

人との競争や競技では気後れしてしまい、全く実力をだせなく、そもそも人と競うのが苦手な私。だけど、なにかと戦いたいと思うことがある。それを叶えてくれる行為が釣りだと思っている。国内の海釣りは、規則や規制がまだまだ整備されていないので、それが問題だという意見もあるが、だからこそ自由があって、まだまだ謎が多くフロンティアが残されている海に、人間本来の資質を伸び伸びといかんなく発揮できるとも言える。(こんなことを言っても世の中は管理社会に向かっているので、いずれはロックショアのような危険な場所は立ち入り禁止になり釣りができなくなるんだろう。)

私のような社会性の乏しく内気な人間にとっても臆することなくできて、そしてこれほどまでに夢中になれる、生きる希望を与えてくれるのが釣りだ。人間は人との交わりや温もりを求めるが、時には誰とも関わることなく一人になりたいこともあると思う。自宅から出て釣りを楽しみ自宅に戻るまで人と全く関わることなく完結できる、それをできるのが釣りだ。(磯での釣りは本当に誰とも会わないことは普通にある。こんな遊びはなかなかない。ある意味、アウトドアに行きながらも精神的には引きこもりの状態。)日々の職場での意味を感じない仕事に疲れを感じた人間にとって、束の間の癒やしを与えてくれる、それが釣りだ。釣りという趣味に出会えて本当によかった。

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