ヒラスズキへの特別な想い

釣り遠征
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ヒラスズキ・・・

自分にとってこの言葉には特別な思い入れがある。

1996年頃。私が高校生のころ、書店で立ち読みした雑誌(確かルアーフィッシング情報という雑誌だったかな)を見てこの魚に一目ぼれしてしまった。それからは、この魚のことが頭から離れなくなり、釣りたいという思いが日に日に強くなり、いてもたってもいられなくなり、気が付くと頭の中はいつもヒラスズキでいっぱいになっていた。

しかし、後から気が付いたのだが、ヒラスズキは北陸にはいないということ。(厳密に言うといないことはないが、数が少ないので狙って釣るのはかなり難しい)近所の釣具店で聞くと、能登なら門前方面でたまに釣れる。剱地では大型のものも昔釣れたことがある。この程度の情報だった。(当時は1996年、情報の仕入れ先は釣具屋、TV、雑誌、新聞等しかなかった)

ここからが大変な道のりだった。遠征に向けたヒラスズキ釣りを想定しての能登半島荒磯修行が始まった。波高がどのくらいがいいのかもわからない。今でいうと考えられないが、波高4mのような日にも磯に立ち、頭から波をかぶりながら釣りをすることもあった。当然、ただでは済まなく、立ち位置からふっとばされたり、波に引きづられて、海に転落しそうになったり、怪我は何度もしながらも幸い致命的なことにはならなかった。

ヒラスズキの生息している南紀の近くに住めたらいいのにと何度も思ったが、地元を離れて、見知らぬ土地にいくことに不安を感じて行動は起こせなかった。
人と関わることに極度に苦手意識がある上に自意識過剰な人間だったので、やりたいことがあっても、不安の方が勝って、いつもそこで断念してしまっていた。

ヒラスズキに向けて一歩を踏み出せたのは、当時同じ高校に通っていた友人の力が大きい。当時、自分にとって、各地の釣り場への一歩を踏み出せたのは、共に歩んでくれたこの友人の力が大きかった。

それから、この友人と共に南紀、薩摩半島、宮崎、伊豆諸島、五島、壱岐、対馬、種子島と各離島に釣りにいくことになる。毎年、GWと年末年始、めいっぱい使って釣りに行き、初めて釣るまで3年かかり、ランカーサイズまでは6年かかった。

自分にとって、途中で脱落せずにこの世界に留まれたこと、社会人としてなんとかやってこれたこと、自己と向き合える穏やかな心を得られたことは、ヒラスズキを追いかけた行為の中で育まれたと思っている。


そして、釣りを通して、かけがえのない思い出ができ、そのときの感情をまた経験したいとの思いから今も離島には1年に1回は必ず釣りにいっている。

上対馬の磯は絶好のヒラスズキフィールドだ
友人が釣った7kgのヒラスズキ(種子島)
種子島北部には素晴らしいヒラスズキフィールドが広がっている
私が初めて釣ったランカーサイズのヒラスズキ(85.5cm 5.85kg)
感動して涙がこぼれたことを今も覚えている。

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